NPO法人
神代の守り人
奈良時代に古事記・日本書紀ができてから1300 年余り、南九州・鹿児島県には神代三山陵や笠沙宮にまつわる神話が伝わっています。それらは神話の源流つまり日本の起源であり、その所在地の四市民をはじめ県民の誇りとして伝えていきたい歴史遺産です。そのために『神代の守り人』という組織が生まれました。子どもも大人も楽しく学びましょう。
『NPO法人 神代( かみよ) の守り人( もりびと)』
理事長 中俣知大
笠狭宮跡碑
ニニギノミコトが野間岳の麓にある「宮ノ山」から次に移って来た地とされています。この地においてニニギノミコトは、宮居として天にも届くような柱を用いた建物を構えたとされています。昭和15年に鹿児島県が公園として整備し、その際に立てた記念碑が桜並木の中にあります。
また公園の入口には「日本発祥の地」を示す記念碑もあります。
可愛山陵
神亀山と呼ばれる高さ約70メートル、周囲約4キロの形状が亀に似ている山の山頂付近にあります。可愛山陵はニニギノミコトの御陵(お墓)とされ、陵道は昭和15年に368段の石階段が整備されました。御陵は、カコウ岩で囲まれた高塚式円墳とされており、明治7年に山陵として定められました。
高屋山上陵
明治7年に明治政府によってヒコホホデミノミコトの御陵と定められました。この地は神割岡と呼ばれており、御陵は二段山作り盛り土で、自然石で表面が敷き覆われているとされています。近くには、ヒコホホデミノミコトがトヨタマヒメと出会った場とされる大川内丘があり、ここは「みそめ丘」とも呼ばれることに由来して「みそべ(溝辺)」の地名が生まれたとされています。
吾平山上陵
ウガヤフキアエズノミコトの陵墓とされ、明治7年に明治政府によって定めらました。姶良川沿いにある岩洞内には塚がふたつあるとされています。ひとつはタマヨリヒメの陵墓とされて、現在は岩洞を対岸から参拝するようになっています。清流の姶良川とその支流沿いを歩く参道は、周辺の森と合わせて神聖な雰囲気を漂わせています
イベント情報
令和3年2月3日より 鹿児島県南さつま市 笠沙美術館
NPO法人 神代の守り人写真展
笠沙美術館(黒瀬展望ミュージアム)
〒897-1302南さつま市笠沙町赤生木8666番地1
TEL.0993-63-0990
令和3年1月15日 鹿児島県庁
NPO法人【神代の守り人】立ち上げの報告と今後の協力依頼の為、鹿児島県庁に塩田知事を表敬訪問してきました。
南さつま市笠沙のご出身の園田豊県会議員の同行の元、NPO法人【神代の守り人】役員での訪問となりました。
専務理事の石堂氏の進行によりメンバーの紹介があり、引き続き中俣理事長よりこれまでの経過を含めて挨拶がありました。
塩田知事も鹿児島の神話についてはかなり興味がおありの様子でした。
令和3年1月4日 鹿児島県庁
エントランスホールにて神代の守り人展示会
お問合わせ